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拙いわたしの拙いぶろぐ

駄目人間代表が適当に書いた小咄をまとめて載せたり、大好きな戦国夫婦について語るだけ

ひとつのかたちの始まり

創作SS

『想いが固まり、奔りだすその日まで』の続き。続くかはわからないけど、隆景との出逢いまでは書き終えたい次第。

今回は問田大方さまが登場です。

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 沼田小早川氏の居城は代々、三原という土地を流れる沼田川の対岸にある高山城だったのだが、御家騒動の後小早川家を継いだ隆景は、天文二十一年、沼田川を挟んだ対岸に城を建てた。
それが今の沼田小早川氏の居城、新高山城である。
隆景夫婦と宗勝の兼ね合いの元、小早川家の食客として迎えられることになった凪も、正月明けた永禄十年一月、迎えの使者に連れられ、用意された籠に揺られながら新高山城へ向かっていた。
「あとどのくらいでつくのですか」

忠海から沼田までは、人間の脚で一刻半あれば辿り着く距離なのだが、城の周辺より外に出たことのなかった凪には少々長旅に感じられ、籠から顔を出して侍る使者に尋ねる。
「姫君がそうむやみやたらに籠から顔を覗かせるものではありませんぞ」
渋い顔で窘める使者はそう身分の高い者ではないらしく、主君の食客と言えど小早川家家臣の娘である凪のことを姫と呼ぶ。
「あと半刻もあれば着きまする。それまで辛抱なさってくだされ」
短く返事をして大人しく籠の中に収まった凪は、膝を抱えて格子から漏れる陽の光に頬を綻ばす。
行ったこともない場所へたった独りで行くことも、会ったこともない人たちと暮らしていかなければならないことも、まだ五つの凪にとっては不安でしかなく、両親や兄を心配させないようにと気丈にしていたが、やはり心細いものは心細い。
けれど、凪は両親が好きだった。
幼いながら、力になりたいと、喜ばせたいとずっと考えていた。
だから、新しい場所で頑張らなくてはならなかった。
何より誰より、両親のために。
「…ちちうえさま、ははうえさま」
“難しいことは何もない。おまえはおまえらしく過ごせばそれで良い”
“しっかりと、お役目を全うするのですよ”
別れ際に掛けられた言葉が凪の胸を駆け巡り、凪は光へ腕を伸ばした。
 山城である新高山城は、鐘の段と呼ばれる四つの郭を横目に通り過ぎたその先に大手門を置く。
この大手門は宗光寺という寺の山門と兼ねられていて、その門を通る前に番所で手続きを済ますようであった。
揺れが収まり籠の外から賑やかな声が聞こえ、凪は膝の上で拳を握り外を覗いてみたくなる気持ちをどうにか抑える。
「このご貴人が例の」
「ああ、そうだ」
「幼い女子だというじゃないか、養女にでもして何処かの物好きに贈るおつもりか」
「口が過ぎるぞ。幼子とは言え御屋形様の食客。本人の前だ、口を慎め」
「冗談の通じんやつだな」
怒ったような声で咎められた男の、つまらなさそうな声が耳に入る。
手続きが終わったのかまた籠は揺れ出し、凪は誰にも気づかれないよう、詰まっていた息をそっと吐き出す。
どうやら、己は好奇の対象となっているらしい。
幾ら右も左もわからぬ子どもといおうと、凪は武家の姫である。
先ほどの番人の言葉だけでもなんとなくの察しはつく。
新しい生活が始まるというだけでも五つの凪にとっては重大なことだというのに、その上好奇の目に晒されるなど憂鬱、否それ以上に不快だ。
「姫様」
顔を顰めていた凪を、暖簾を開けた使者が呼ぶ。
「着きましたぞ。これから姫様が過ごされる、北の丸に御座いまする」
使者の先に広がる景色に、凪ははっと息を呑む。
雨雲のような色の瓦屋根は何も邪魔することのない陽の光が一身に差していて、銀のような輝きを見せる。
それに映えるのは汚れた様子も見せない白壁で、凪は使者の差し出した手を取り、地上に降り立つ。
花を綻ばせた梅の花弁が、この日の為に設えられた空色の小袖を彩る。
「ここが、ごぜんさまの」
「左様。御前様は殆どをこの北の丸で過ごされておられます」
寂しさも不安も越えやってきた甲斐があったと思うまでに、凪はこの北の丸を一目で気に入った。
邪魔なものは何もない。
無駄なものは一切ない。
それは反面地味とも言えるが、 侘び寂びというこの室町の世を象徴しているようでもあった。
何より、あまり華美なものを好まない凪には、心が落ち着く景観である。
「さあ、御前様がお待ちですぞ。参りましょう」
背から掛けられた使者の声に、凪は身を翻し笑顔で肯いた。
 小鳥のさえずりを背景に、廊下を一歩一歩踏み締めるように進む。
こういう場所には湿気に強い檜を使用しているのだと前に兄が鼻高々に話していた(恐らく城下で知り合った大工にからでも聞き齧ったのだろう)から、きっとこの床も檜なのだろう。
「凪姫さま、こちらです」
緊張で気が張り詰まっていた凪に、阿古の侍女だというふくよかな女性がにっこりと微笑む。
「あまりご緊張なさらぬよう。御前様は心優しいお方ですゆえ、ご心配は無用ですよ」
神妙な面持ちで頷く凪をくすくすと笑って、彼女は部屋の中に向かって声を掛ける。
「どうぞお入りなさい」
穏やかな声音が響いた後、侍女によって開かれた扉の先には、柑子色に牡丹が咲いた華やかな打掛を纏った童顔の女性が佇んでいた。
木漏れ日さす森で小鳥を手なづけていそうだ、と父が聞いたら笑い転げるであろう感想を抱いた凪が慌てて一礼すると、阿古は凪を手招きする。
「そなたが宗勝どのの御息女、凪どのですね」
「は、はい」
「会える日を待ち遠しく思っていました」
もしも女神というものが存在するのならば、きっとこんな人なのだろう。
ふんわりとした微笑みと纏う雰囲気、それから淑やかな佇まいに、凪は思わず頬を染める。
「わたしも、わたしもおあいしとうございました」
「まあ。ふふ、嬉しいわ」
そう広くはない一間に、遠くも近くもない距離で笑い合うふたりを除いて他には誰もない。
「凪どの、もっと側においでなさい」
「でも」
食客とはいっても、阿古にとって凪の立場はあくまで家臣の娘だ。
幼心に憚る凪に、「私がもっと近くでそなたと話したいのです」と阿古は手を差し伸べる。
打掛から現れた腕は手は指は、母のものと比べて細く白く、また女中のものよりずっと滑らかそうに見えた。
触れればきっと、それはそれは気持ち良いのだろう。
凪は恐る恐るその手を取り、導かれるままに阿古の目前まで進む。
凪が立てば小柄な阿古とは、目線が少し凪のほうが高くなる。
凪のものに負けず劣らず大きな目は、ゆうらりと細められる。
「ようこそいらっしゃいました、凪どの」
あゝそのかんばせがあまりに物柔らかくて、凪の胸はトクトクと音を立てる。
でもその高鳴りは、決して嫌なものではなく、凪を心地よくさせるものだった。
 大名家の奥方の過ごし方というものはさぞかし華美なのだろうと思われがちだが、実際はそうでもない。
普段は奥向きの取締役として使用人たちを取り仕切っているし、城主である夫が城を留守にしている間は城主代理として内政、外交に関わる責任と権限を背負っている。
その為、大抵の奥方は日々を忙しく過ごしていた。
例に漏れず阿古も城主代理としての責務を全うする為、また夫の話を理解し共有する日を望んで、奥向きの仕事と共に政の勉強も欠かさなかった。
謀神毛利元就の血を受け継いだ、毛利一族きっての智将と謳われる隆景が読み物を好む故に広く造られた書庫で、打掛を脱いだ阿古は凪一人を連れ本棚を見て回る。
まだこの城に来て間もない凪に城の中を覚えてもらうにも良い機会だろうと北の丸から連れ出したのだが、図らずも凪は薄暗いこの書庫に目を輝かせてキョロキョロと視線を巡らせていた。
「面白い?」
「はいっ」
灯りを通さずとも判る凪の笑みに、阿古は口角を緩める。
会ったばかりの頃は隠せていない緊張を孕んでいた彼女も、嬉しい、楽しい、美味しいなどの感情を共有し一日を同じ空間で過ごせば、徐々に本来の性格なのだろうか、利発で賢い姿を見せてくれるようになった。
初めの夜はあまりの寂しさにか、実家から唯一付いてきた乳母に抱かれ涙を流したと耳にしたが、その次の夜からは阿古自身が願い出て、彼女が寝付くまで添い寝をしている。
 「御前様の優しさが、姫様の御心を安らかにされたのでしょうね」
凪の邪気のない寝顔を見て、乳母は起こさぬよう小声でそう言った。
「そうだとよいのですが」
阿古は目を伏せる。
「私の我が儘のせいで、この子に無理をさせてしまってはいないでしょうか」
「そのようなことはー」
乳母は口籠もり、何かを思う素振りを見せて、それから言葉を紡いだ。
「昨夜、姫様は仰せでした。『御前様はとても素敵なお方だった』と」
「凪どのが」
「ええ。きっと多くの不安を堪え此処まで来られたのだと思います。けれども姫様はこのお歳だというのに、あまり弱音を吐くお方ではないのです。それゆえ密かに心配していたのですがー」
乳母の視線の先で、凪が規則的な寝息を立てている。
「昨夜のその一言で、心配は晴れました。姫様は、御前様とならばこの地で過ごしていけるとお感じになったのだろうと、わたくしは思います」
阿古は凪の乱れた髪を、優しい手つきで纏める。
ことの始まりは己の願望を口にしてしまったことで、その小さな夢にこんなに幼い少女を巻き込んでしまった。
けれど彼女は、己と暮らしていくことを自らの意思で選んでくれた。
抱えきれないほどの不安があったろう。
彼女自身だけではない、手放すほうだってどれだけの感情を抑えてくれたことか。
ただのひとりの我が儘から、すべては始まった。
だから、阿古は思う。
自ら己の元に来てくれた凪、己に大事な娘を預けてくれた宗勝と凪の母、全ての想いをまるごと抱いて、凪の両親の分も凪に愛情を注ぐという使命があるのだと。
「私の元に来てくれてありがとう、凪」
それは親子とも家族とも違う、ひとつの『かたち』の始まりだった。
 書庫の奥まで進んで漸く目当ての書物を見つけた阿古は、仮名文字で書かれた御伽草子書物を手にした凪を連れ、書庫を出る。
「ごぜんさまはなにをおよみになるんですか」
拙いながら繋いだ手を揺らし、凪が尋ねた。
四書五経という文献の一つですよ」
「じゅきょうの?」
「そう。よく知っているのですね」
「あにうえがおんどくしていたのをきいていました」
風に揺すられさらさらと音を立てる木々の枝先には、いくつもの蕾が膨らんでいる。
あと一度、月が満ち欠けすればこの城は桜色に染まるだろう。
そのときは屋形の外にござを引かせて花見に興じるのも、一興かもしれない。
「そうでしたか。凪の兄上様は、どのようなお人なのですか」
「やさしくて、きっちりしたひとです」
「きっちりですか、流石は凪の兄上ですね。一度会うてみたいものです」
家族のことを嬉しそうに語る凪を見ていると、阿古は昔のことを鮮明に思い出すようになった。
兄と雪遊びした日のこと、母に抱かれた温もり、憶えてなどいないはずなのに耳に遺った父の声。
それらは今までであれば阿古にとって辛い感情を呼び起こすものであったはずなのに、凪と出会ってからは胸をじんわりとあたためるものでしかない。
阿古は小さな右手で書物をしっかりと掴む凪に、口元を緩める。
この子と一緒にいると、いつだって気分が和む。
「屋形に戻ったら、火鉢で餅を焼きながら読み物をしましょうね」
お餅、呟いて喜色が浮かぶ目で見上げてきた凪の頭を、阿古は大切なものに触れるように撫でた。