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拙いわたしの拙いぶろぐ

駄目人間代表が適当に書いた小咄をまとめて載せたり、大好きな戦国夫婦について語るだけ

女中のはなし

創作SS

例えば花が鶴羽城に預けられた理由が、シリアスだったら…という考えから生まれた、短いお話。

花は京都の子なのに、大阪の船場言葉で呼ばれているとするのには、目をつぶっていただけると幸いです。

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花の実家、一宮家の屋敷には、多くの女中が存在している。
花自身にも物心ついた時には既に、自分のお付きが付いていた。
名を、咲という。
花より十六は年上で、誰にでも分け隔てなく接する、器量の良い美人だった。
彼女は、お嬢様にしては無邪気で破天荒だった花を、常に根気よく見守った。
姉に比べて要領が悪くお転婆で、問題を起こしやすく、そして何より口が達者な為、母とぶつかりあうこともあった花を慰めるのは、いつも咲で。
姉である百合が体調を崩し寝込んでいた日には、女中を押し退けて粥を作ろうとする花に、咲は粥の作り方を一から教えた。
踊りや箏ができずとも、好きなことを極めればいいと言ったのも、咲だった。
花にとって咲は、もう一人の母であったと言っても、過言ではない。

そんな咲は、今はもう、亡い。

「花ちゃん」
自分を呼ぶ馴染んだ声に、花ははっとして顔を向ける。
「池なんて見つめて、どうしたの」
珍しいものを見たとでも言うかのように、善四郎は目を丸める。
「…少し嫌なこと、思い出しちゃって」
季節は初秋で、そよぐ風が少しばかり冷たい。
彼女が亡くなったという報せを聞いた日も、秋風が吹く季節だった。
だからきっと、彼女のことを思い出したのだろう。
花は目を伏せる。
「…そっか。ねえ、明日、城下に行こうか。わらび餅が美味しい甘味屋を聞いたんだ」
「わらび餅」
「うん。才介さんが絶賛してたよ。気になるかい」
悪戯な笑みに花が素直に肯けば、善四郎は書庫から持ち出したのだろう、書物を片手に抱え直して、右手で花の目元に浮かぶ雫を掬う。
「あ…わたし、泣いて…」
泣いていたことに気付いていなかった花は、善四郎は右手を両手で柔らかく包むと、その手を頬に擦り寄せる。
「…ごめんなさい、今だけ、少しだけ」
乞う言葉に、不安定さを感じ取り、善四郎は彼女の気が済むまではと目を閉じた。

なかさん、と他の女中や奉公人のように、彼女が織花を呼んだことは殆どない。
彼女は大抵いつも、花を「花さま」と呼んだ。
姉の百合は、お付き女中にもいとさんと呼ばれていたし、妹の千代だって、こいさんと呼ばれている。
恐らく、様など付けられて呼ばれていたのは、花一人であったことだろう。
周りがそれをどう思っていたかはわからない。
それでも、花は咲が呼ぶ「花さま」という音が、好きだった。
特別であるかのようで、花自身を認めてくれている気がして、嬉しかった。

「善四郎さまは、御家の方にどう呼ばれてるんですか」
帰り道、ふと零れた疑問に、善四郎は首を傾げた。
「そうだなあ、普通に仮名が多いけど。でも、どうして突然呼び名の話を」
善四郎の疑問に思わず、花は繋ぐ手に力を込める。
それに気付かないわけもなく、善四郎は自身もその手を、痛くない程度に強く握り返す。
「…昔ね、一人だけ、わたしのことを『花さま』って呼ぶ人が居たんです」
花は、ぽつりぽつりと話し始めた。
「家族以外は皆、なかさんって呼ぶのに、その人だけは、いつもそう呼んだ」
その視線は、青々とした高い空に浮かぶ、うろこ雲に向けられる。
「理由はわからないのだけど、でもわたし、その呼び名が好きで」
その呼び名が聴こえれば、すぐに彼女の元へと飛び込んだ、幼き頃の自分が瞼に浮かぶ。
「だから、善四郎さまにもそういう呼び名があるのかなって思って」
嗚呼、出来ることならもう一度。
あの声で、あの呼び名を、呼んで欲しい、なんて。
「特別な呼び名、かあ。花ちゃんはその人のこと、大好きだったんだね」
「…ええ、大好きです」
六年の時が経とうとしている今でも、忘れた日などないほどに。
「花ちゃんにそこまで思われてる人が居るなんて、羨ましいよ」
少し妬けちゃうな、彼はそう囁く。
「…もう、亡き人だから」
「そうだったんだ…ごめん」
謝る善四郎に、花は首を振ってみせる。
彼が謝ることではない。
「お付きの女中だったんです。わたしが九つの時に、暫く休暇を取ってそのまま亡くなったと報せだけ」
高い秋空を仰いだまま呟いた。
「湖の近くに、血に染まった彼女の着物があって、女の死体が湖から引き揚げられたって」
だから昨日、花は池を見つめていたのだと、善四郎は漸く合点がいく。
「…生まれた時からずっと側に居てくれた人だったから、わたし、流石に塞ぎ込んじゃって」
それで、城に預けられたんです。
花は語る。
「城に来てからも、咲のこと、忘れた日はありません。でも、たまに、どうしようもなく逢いたくなって、忘れてしまいたくなる」
もう、逢えないのだから、いっそ。
「…でも、忘れられないんだね」
「…はい」
善四郎はいつだって、いとも簡単に花の心を見通す。
「忘れる必要なんて、ないよ」
隣から聞こえた声に、花はだいぶ背丈の開いた彼を、見上げる。
「優しくてあたたかい記憶を、わざわざ自ら失くす必要なんて、ないよ」
慈悲深い横顔に、花の胸はいっぱいになる。
「寂しいときは、僕が側にいるから」
嗚呼、これだからこの人は。
好きになっても好きになっても、また好きになって、まだ好きで溢れてしまう。
「…すき、」
つい零れた音に、我に返って顔を赤らめる。
不意打ちに驚いた善四郎と目が合う。
「…そんなに恥ずかしがらなくても」
照れて笑う彼だって、少し顔が赤い。
「…僕も、好きだよ」
囁かれる言葉に満たされる。
繋いだ手から伝わる温もりに安堵する。
一身に受ける甘美な眼差しに、酔う。
このままで。
ずっとこのままで、いたい。
近付く顔に目を閉じて、静かに唇を重ねた。